うしろまえだよ!Tシャツ。

心をスッキリ整理したい。

   言いたいことを言えた日

子供の頃
学校での出来事や明日の話を
聞いてもらったことがありません。

溢れる想いのまま
話を聞いて欲しかったなぁと
悲しく思い出します。

今に始まったことではありませんが
話を聞いてくれなかった母は
自分の話を私に聞かせます。
職場の同僚の悪口やお客さんの悪口
私が高校生の頃は母の彼氏の話を
聞いてあげてました。

母は孫の前でも、私に話を聞いて欲しくて
すごい勢いで話します。
うんざりするような話です。

先日、とうとう
その話もういいよ、ききたくない
と言えました。
母は、えー聞いてよと言ってましたが
聞かない聞かないよ
と言ってきました。

なんだか、すごくいい気分。

   愛されずに育った子供

愛されなかったことは悲しいです。
それから恥ずかしいです。

私は家族から無視されて、罵られて、
笑われて育ちました。
なので普通のご家庭で育った方の前に
立つと恥ずかしくて緊張します。
例えば買い物した時のレジの方
子供のお友達、子供のお友達のお母さん
どんな人の前でもリラックスすることが
難しいです。

空を見上げてどうしたらいいですか?
と聞きました。

   人を信じる力

世の中愛しかないと思えたらいいなぁと
思います。
私の子供達が人を信じる力のある人に
育っていることをいつも願っています。

私は人を信じることが苦手です。
いつも人を疑っているわけではないけど
人といると緊張してしまいます。
ほんとの自分を隠します。

結果やっぱり寂しい人生ですね。

もういい歳だけど、ここから抜け出したいです。

私の母はいつも私を騙し出し抜きました。
私がいない時に私の物をあさり捨てました。
私の関係者に隠れて電話をして
私の意思に反する結果になるように画策しました。

世の中で1番信じられない人を頼りに
成長するしかありませんでした。

対人関係に伴う緊張感の原因はわかって
います。
解消法はなんでしょう?

   誕生日

2歳の頃だと思います。
近所の友達の誕生日にご家族の中に1人だけ
およばれしてご一緒させてもらいました。
私は一生懸命選んだ小さな女の子の形をした
マスコットを渡してお友達がすごく気に入って
くれてお友達のお母さんが、仲良しだから
気持ちがわかるのねと言ってくれました。

その日はとってもとっても楽しくて
最後に満を辞して出てきた素晴らしいケーキは
お姫様の上半身の砂糖菓子が真ん中に乗っていて
ケーキはドレスの形をしていて
クリームでフリフリを表現してありました。
夢見たいな楽しい一時でした。

そして私の誕生日もきっとお祝いして
もらえるものだと勘違いして
懲りもせず楽しみにしていました。
保育園で他のお友達のうれしかった誕生日
当日の話もきいてまわり
自分がお祝いされるのがたのしみでした。

誕生日当日私はガッカリして泣きました。
ケーキがなくっちゃ3歳になれないって
泣いたそうです。
母はすごく面白い話として
何度もその話をしてあざけ笑いました。

今、思い出してみて、
自分が主役でお祝いされるのを楽しみにする
心が2歳のころにはあったんだな〜
と驚きました。
今は、すごく苦手ですよ!

とっても悲しいです。

   夕食のお肉

子供の頃の食事は料理といえるような
ものは、ほとんどなかったです。
醤油をかけて焼いたものがおかずでした。
たまに豚肉がでると、私は、いい匂いだな
美味しそうと思いましたが
母がお兄ちゃんは男だからお兄ちゃんに
あげようねといいました。
私の分のお肉はありませんでした。

母は私にお肉みたいな少し高い食べ物を
食べられるのはもったいないから
嫌だったんだとおもいます。

母がたべさせてくれないなら
子供の私は自分の稼ぎもありませんから
お肉を食べる事はできません。


私は、今自分で料理もできるし
レストランへ行くこともできます。
昔の私にご馳走できたらステキですね。

70代になって心細くなった母は
イベントの時などに寂しくなって
孫を連れてきたらレストランへ行って
ご馳走するから来いといいますが
実際、家に迎えに行くと
スーパーで買った惣菜を並べて
これでいいかなと思って
と言います。

ご馳走するなんてもったいなくて
耐えられないんだとおもいます。

   助けない母親

小さい頃、3歳違いの兄がよく私の腕や指の
間接をねじりました。
兄はいつもイライラしていて
私の指の間接を逆にねじって私を泣かせるのが
ストレス解消になってたんだと思います。
私は痛くて母に助けを求めましたが
母はいつも知らんぷりでした。
そして逆にいいつけるのは悪いことだと
いいました。

兄は私が一歩でもベランダに出ると
鍵をかけました。
またプロレスをしようと言って腕の関節
をねじりました。
気に入らないことがあるときは顔面を
蹴られました。
もちろん母は、兄がわたしをいじめる事で
怒った事は一度もありません。

私はまだ、6才ごろでしたが兄を心から恨み
そんな毎日がほとほと嫌になって
夜みんなが寝たら1人で起きて
兄を殺そうと決心して夜ねることがありました。
自分のことですが恐ろしい考えです。
私は夜1人で起きる事はありませんでしたが
本気でした。

学校で家族について作文を書きました。
私は兄の暴力の事を書き死んで欲しいと
書きました。
助けてくる親が私にはいないので
先生が助けてくれるのではないかと
期待したからです。
先生は何にもしてくれませんでした。

すべてに優遇され王様のような兄は
今、母から距離をとっています。
70代の母は大好きな兄の事を思い
濁った目をうるうるさせて
面倒なことは兄には頼めないと
私にいいます。


私は昔のことだと許す事はどうしても
出来そうにありません。

兄が母を痛めつけながら老後の面倒を
見たらいいじゃないかと思ってしまいます。

   リカちゃん人形

小さい頃、だれかに欲しいものを
買ってもらって嬉しいと思った記憶が
ないです。

母はもちろん買ってくれません。
でも、サンタさんなら私の欲しい物を
くれるのではないかと思った私は
サンタさんに欲しいおもちゃをくださいと
手紙を書きクリスマスには私のものになると
信じて目を覚ましました。

無かった時は本当にガッカリしました。

サンタさんがくれないならば
誰も私に欲しい物をくれないでしょう。


中学生のころでしょうかTVのCMで
小さな男の子がショーウィンドウ越しに
欲しいものをずっとみていて
ある日、商品がショーウィンドウから
消えていて男の子はガッカリしますが
横にいるお父さんがサプライズで
プレゼントして男の子が喜ぶというような
ものが流れていました。

私はそのCMが流れるたびに釘付けになり
すごく心を揺さぶられました。
切なくて悲しくて、でも嬉しいような
泣きたい気持ちになりました。

そんな風にわたしを喜ばせるために
大切なお金を使う人は世界中どこにも
1人もいませんでしたから
あこがれの別世界の映像でした。



母は70代になり先々面倒をみてもらえるか
不安になってか
私にお金をくれることがあります。

でも、私の喜ぶ顔が見たいと思う事は
今までも、これからも
絶対に永遠にないでしょう。